隣の芝は青すぎる

己の自己肯定感をブチ上げたいブログ

「なにもできない」という才能

わたしには人よりも長けている能力というのがない。なにもない。

正真正銘の無能。無能オブ無能。

 

いつも何者かになりたい、とずっと心のどこかでは思っていたのに、結局何事も成しえないまま時代が平成と名付けられた年に生まれ、そして平成が終わろうとしている。

 

 わたしのなにもできない遍歴

勉強もスポーツも、何事も継続することができなかった。

かといってアート方面もちんぷんかんぷんで、ピアノは習っていたけど今はたぶん猫ふんじゃったが弾ける程度だし、イラストが上手に書けるわけでもなければ小説を書けるわけでも動画を作れるわけでもない。

きっと下手くそなりにイラストだって描き続けていれば、ピアノだって弾き続けていれば、勉強も授業をしっかりと聞いて宿題をちゃんと解き、テスト前にしっかりと勉強していれば・・・、していれば、何か違っていたのかもしれない。

 

学生時代に好きなことや夢中になれることがなかったのも原因だったのかもしれない。

高校3年生の時、就職希望だった当時のわたしに進路相談で担任の先生に言われたことを今でもよく覚えている。

「いいか。将来の夢なんてなくていいんだよ。やりたいことがないから就職しなきゃいけないわけじゃない。大学に行って、将来の夢とかやりたいことを探せばいい。こういう言い方をするとアレだけど、お前は女だから、男みたいに将来ずっと働くわけじゃない。大学でやりたいことして、ちょっと就職して、結婚すればいい。難しく考えるな。お前みたいな奴こそ四大に行くべきなんだよ」

 

今思い出すと、なかなかとんでもないこと言われてたんだなって。男女差別がすごいや。

わたしの通ってた高校は進学校だったので、先生はどうしても生徒をできるだけ進学させたかったんだと思う。

 

そして先生にオススメされるままわたしは進路を就職から四大に変更。けど頭も良くなかったし受験勉強をスタートするのも遅かったので私立のFランをぬるっと受けてぬるっと合格しました。 

中学・高校とボケーっと生きてきて、大学で今更将来の夢なんて見つかるのだろうか。そんなことを考えていた大学生生活の序盤。

気付いたら大学2年生になっていて、さらに気付いたら大学3年生になる前に大学を辞めていました。

 

「大学3年生にはなりません」と両親に告げる時、怒られるのがこわくてヘラヘラと笑いながら話をしました。

私立に通わせてくれて、しかも他県だったため一人暮らしもさせてくれました。たくさんたくさんお金がかかったはずなのに、父も母も「わかったよ」と特に怒ることなくわたしの気持ちを尊重してくれました。

今考えるとうちの親、とてつもなくいい親ですね。ビックリした。

わたしがこのボケナス娘の母親だったらたぶん娘の顔15発くらいビンタしてると思う。

 

その後わたしは実家に戻り、2年間のフリーター時代を経て、同級生たちが新社会人として社会に飛び出す22歳の時に同じくして正社員として働きだします。(正確には半年間は研修期間でバイト扱いでした)

 

高校の時の担任にこの体たらくを見してやりたかった。先生、わたしは女だから大学でやりたいことチャラチャラやればよかったのに大学に通うことすら放棄してしまったよ~~~!!!おーい!!!名前忘れたけど当時の担任~~~~~!!!!もう定年退職しちゃったかな・・・。

 

「なにもできない」も才能。

どうですかわたしのこの何もできなさ。本当になにもできない。きっとなにもできないまま平成だけでなくわたしの命も終わってしまう。

だけど聞いてください。大学中退してアルバイトして、そのあとちゃんと就職できました。その会社辞めた後もちょっと間は空いてしまったけどまた就職できたんです。

なにもできなくても、そんなわたしの”無価値”を採用してくれる企業が複数あったということ。日本もまだまだ捨てたもんじゃないかもしれません。

 

新 13歳のハローワーク

新 13歳のハローワーク